tsudoi.net旅行記 >> 東南アジア旅行記 第7話 さよならベトナム

第7話 さよならベトナム

子供たちのうちの1人についてここで話しておきたい。
一番右端の赤いシャツの子 一番私になついてきた子である。
いつも傍にくっついてくるのでどの写真にも写っている。
初めは気づかなかったが、みんなの説明では、耳が聞こえないらしい。
交通事故でバイクとぶつかってから聞こえなくなってしまった。
喋れない。
何か言っているが、他の子のように発音できていないことに途中で気づいた。
でも一番明るく元気な子だった。
リフティングを一生懸命真似しようとする。
好奇心旺盛。手品が大好きで、何度も何度も誇らしげに見せてくる。
しかし、もともとベトナム語のわからない自分にとっては、言葉なんて関係なかった。
表情、ジェスチャー、旅の指差し会話長。
この3種の神器でこと足りる。
自分もこの子に一番愛着を持った。
この子も自分も、喋れないもの同士であった。

子供たちが一番興味を持ったのはデジカメである。何回撮っても、
「もう一回撮って!」
というジェスチャー。片手の親指と人差し指で丸をつくり、メガネのような格好、
そして舌打ちのような音を口で鳴らすと「写真」という意味らしい。
子供達 with MotherしまいにはMotherまでアグレッシブになってきた。
もちろんmother自身ではない。
まだ2,3歳になる自分の子供を撮ってくれという。
やはり一番下の子が一番かわいいのだろう。
実際、かわいい。かわいすぎ!
「シンチャーオ」
なんて純粋な目をして言われたときには、たまったもんじゃない。
「デジカメちょうだい!」
と、せがんでくるが、これだけはどうしてもあげられない。
「これだけはゴメンな。」
思い出をしっかり持ち帰らなくてはならない。
スコールが降ってきた。
この熱帯地方のスコールは相当激しい。粒がデカく、重く、あたると痛い。
しばらく日記を書くからゴメンね。また夜にでも遊ぼう。16:00。

Motherのイチオシ!

夕食。
雑炊、蒸し鶏、魚の煮物、花のサラダ、
それといつものワイライス(コレが強烈!推定アルコール度数40%)
今日はDucのfatherと近所のおじさん2人が一緒。
Fatherはつい先ほどカンボジアへの農作物の出張販売から帰ってきたところだった。
似てると言えばDucに似てるような気もする。
昨日もそうだったが、
もてなすときはワイライスをまず自分が半分飲み、
残り半分を客人に渡す。これを全員が何回も繰り返す。
間違いなく飲みすぎ。そしてまたいつもの、「お前ここに住めよ」発言。
Fatherも、
Father 「あんたには親近感がわくんだよな。今度はいつ来るんだ?
来週?(早っ!)ずっと住めよ!うちの娘と結婚しないか!?」
体育会系のノリである。
以前、ヨーロッパ人(どの国だったか忘れた)を
同じようにDucが連れてきたらしいが、どうも馴染まなかったらしい。
「彼らはhappyそうじゃなかった。でもあんたは本当にhappyそうだね!

推測だが、
ヨーロッパの人たちは少し生活の違いに戸惑っていたのではないだろうか。
「こんなところに泊まるのかよ?」
確かに、トイレもついていない。シャワーもメコン川の水。
白人と黄色人種の違い。自分も生活の違いに抵抗が無いわけではない。が、
ある種これは日本人の特殊能力ではないだろうか。
どの国の人とも仲良くなれる。
日本人の伝統ともいうべき「和」の心が自分にも備わっているのだろう。
なぜか、今までの海外経験では、どこへ行ってもその国の人と仲良くなれた。
もちろんジャパンマネーの影響も少なくない。
中国では初めは歓迎してくれなかった人もいる。
南京大虐殺について祖父母から話を聞かされているためだ。しかし、
そんな人でさえ、会って一言二言会話をしただけで、
「日本人ってこんないい人とは思わなかった。」
である。
偏見とは恐ろしい。
まあそれはいい。要するに、
日本人の特殊能力、「和」の心が自分にも宿っていることに大いに誇りを持った。
これからは、「和」の心を持ち、基本的には人種差別もない、宗教的にも中立的な、
そして経済力のある日本が、もっともっと積極的に国際紛争を解決する場に進出することが求められるのは間違いないだろう。


Ducの妹
Fatherの薦める「うちの娘=Ducの妹」にも触れておこう。
歳は17。見た目は中学生ぐらいに若い。
この賑やかな家庭にあって、唯一おとなしい子といえるだろう。
Duc曰く、初対面の人に対してはshyだそうだ。普段、家族とはよく喋るらしい。
ベトナムでは結婚は早い。19になるともうお見合いをすると言っていた。
そんな中、Ducは誇らしげに、自分は恋愛結婚だったんだと言う。
妹は17だからもうあと2年でお見合いか。それで親戚は結婚を勧めてくるのだ。
しかし、正直、一瞬、
「あり。」
と思った。Shyだからか、あまり会話をすることが無かったが、
頼んでないのにお茶やコーヒー、お菓子をそっと出してくれる。
私が眠くなっているのに気づくと枕のようなものをこっそり置いてくれている。
常に気を使ってくれていた。写真を撮るときはいつも隠れた。
一枚だけ、撮らしてくれたときも何度もチェックして、
気に入らないときは消去、撮り直し、を繰り返した。
「あり。」

子供たち 話を戻す。
とにかく酒をよく飲まされた。
しばらくグラスに酒を注がれたまま、飲まずにいると、
「あれっ?(おかしいなー!?飲んでないんじゃない!?)」
という表情。
大学1,2年生のときのデジャブ。サッカーの先輩方と同じノリだった。
当然、負けず嫌いのため、勧められた酒は
飲む!注がれる。
飲む!注がれる。
飲む!そしてノックダウン。

気づいたらmotherのベッドで寝ていた。

20:00頃、再び目が覚める。酔いが少しおさまっていた。
最後の夜、もう少し散策してみたい。
Ducと何人かの子供たちと共に近所のカフェ(?) に出かけた。
と言っても3軒ほど隣の家。
みんなテレビ(ベトナムのサッカーの試合)を見ながら路上のイスでコーヒーを飲んでいる。
このベトナムコーヒーが大好きだ。
こってりしたコーヒーにコンデンスミルク、
子供たち2 そして細かい氷をコレでもか、と大量に入れる。少し甘いが絶妙。
「あの日本人サッカーめちゃくちゃうまいぞ!」
と、村で有名になっていたらしい。みんなに歓迎された。非常に光栄です。
みんな、
「ナカータ!ナカータ!」
さすが世界の中田だ。日本人でサッカーするやつはもれなく中田。
楽しかった。
いつの間にか再びmotherのベッドで寝ていた。



翌朝。5:30起床。
Ducにせかされ急いで出発。
Father, mother, 妹の3人が見送ってくれた。
正直、名残惜しい。
子供たちにもう一度会いたかったがまだ寝ているので仕方が無い。
「ターンビー。ガモン。」
シンチャーオ! 妹は相変わらずshyだった。
泣きそうだった。温かい家庭。温かい村。
いつ戻ってきても歓迎してくれる第2の故郷のように思えた。
お金はいっさい要求しない。ただただ、歓迎してくれた。
またいつか必ず戻ってこよう!!

島からボートで陸へ。
道がアスファルトだ。そして車もバンバン走っていた。
・・・あの島にはアスファルトはいらない。
車なんて通らない方がいい。
子供たちが危なくなってしまうから。


さよならベトナム
チャウドックという街へ。
プノンペン行きのボート。U.S. 10ドル。
あいにく持っていなかったのでカードで支払った。カードで支払えた。
何から何までDucの世話になった。
せめて、
と、これからまたホーチミンでバイクタクシーの仕事をするDucに、
送ってくれたタクシー代として、手元にあったなけなしのベトナムドン(U.S.10ドル程度)を渡した。
I was very happy with you and your family.
Thank you very much, Duc.
I promise to come again!
別れの言葉。



第6話 ベトナムサッカーへ 第8話 プノンペンへ
第6話 ベトナムサッカーへ 第8話 プノンペン入りへ

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